こんにちは
2ndスクールオンライン教室長の
奥田みほです。
以下内容は、ご本人とご家族のご了承を得た上で書かせていただいています。
登場する人物・団体・名称等の一部は架空であり、実在のものとは関係ありません。
中学受験で第一志望校に合格できるのは、25%と言われています。
熱望校にご縁をいただけず、第二志望校に進学するケースは少なくありません。
そしてゴールデンウィークを過ぎる頃になると、私立中高一貫校では、退学して地元公立中へ転校する生徒がちらほら出始めます。
(私立中高一貫校の平均退学率は10%にのぼります)
せっかく進学した私立中高一貫校を退学してしまうなんて…
そう思われる方も多いでしょう。
もしお子様が中学進学後に「学校を辞めたい」と言い出したら…
退学を承諾しますか?それとも説得して引き止めますか?
もし退学した場合、いったいその後どのような人生を歩むことになるのでしょうか
今回は、進学先の中高一貫校を退学した後、明暗を分けた二人のお話をしましょう。
かなりリアルな内容で、他ではめったに語られることがない話です。
是非、最後までお読みください。
合格可能性80%の御三家、まさかの不合格。
2月2日に受験した学校に進学するが、どうしてもなじめずに退学。
「こうなったのはお前らのせいだ」
いまも両親に対する憎しみの気持ちを抱えたままでいます。
第一志望は麻布中。
何と言っても男子御三家です。
各国の大使館が立ち並ぶ地域にあり、駅から学校までの坂道は、右側にある有栖川宮記念公園からひんやりとした林の空気が漂ってきます。
文化祭に連れて行かれたときの母親が、やけにテンションが高くて
「ね! いい学校でしょ。あなたの進学先はここがいいわ」
サピでは大規模校の「麻布1」クラスに在籍し、6年の秋からはお母様が付きっきりで徹底的に過去問をやり込みました。
ガミガミ言われながらも1日4〜5時間は机に向い、5年分の過去問を3周する頃には、安定して合格最低点を上回る得点が出せるようになりました。
多少の席順変動はありましたが、志望校別SO合格可能性80%で本番を迎えました。
寝る間も惜しんで勉強し、
絶対受かる! と臨んだ2月1日。
結果は…
まさかの不合格。
結局、2月2日に受験した栄光学園に進学しました。
この学校に憧れて受験勉強を頑張る人もいます。実際、熱望して入学したと言う同級生がたくさんいました。
でも、
Aくんは栄光学園への進学はちっとも嬉しくありませんでした。
それどころか、できれば行きたくないと感じていました。
「やっぱり俺の子だ。よくやったな。」
「お父さんの血を引き継いでいるのね」
父親の出身校だったので、両親ともにものすごく喜んでくれて。
だから、行きたくないとは言えなかったのです。
そもそも中学受験をすることになったのは、小学校受験が不合格だったから。
「別に自分がやりたかったからじゃない。本当は勉強なんて、好きじゃない。」
お受験の教室に通わされて、毎日母親に叱られた。
「なんであなたはこんな簡単な問題が解けないの!?」
本当に毎日が辛かった。
母親にも先生にもいつも怒られ、ときには怒鳴られ、それでも期待に応えたくて、必死に勉強した。
でも、結果は不合格。
悔しいとか、悲しいという気持ちすら起きなかった。
とにかく
「やっと終わった」
ただそれだけだった。
行きたくなかった中学でしたが、
通い始めたら、まあ、なんとかなるかなという気持ちもありました。
なんとか…なりませんでした。
毎朝、起きるのが辛く、遅刻する日が増えました。
ある日
「早くしなさい」
という母親に対して
「うるさい!黙れ!!」
と怒鳴っていました。
こんな大きなエネルギーを持っていたなんて、と自分の声に驚きました。
母親に怒鳴って家を飛び出したその日。
登校してすぐ、担任にこう言いました。
「今日で学校辞めます」
目を丸くして顔を上げた担任の顔が、シャッターが切られた静止画像のように、脳裏に焼き付きました。
でもすぐに、その印画紙は粉々になって消え去りました。
帰宅すると、母親が玄関で仁王立ち。
「なんだよ! どけ!!!」
また自分で驚くほどの大きな声。
怯える母親を肩で押し退け、2階の自室に逃げ込むようにドアをバタンと閉めました。
あれから20年。
いまも実家の2階に住んでいます。
食事は、母親が自室のドア前に置いてくれるものを食べます。
トイレは2階にあります。お風呂は両親が寝静まった後に。
深夜にときどきコンビニに出かけることはあるけれど、
最後に日が出ている時間帯に外に出たのはいつだったか…
カーテンが閉ざされた部屋の中で、ときどきこう叫びます。
「こんなふうになったのは、お前らのせいだからな!!」
「クラスで一番頭がいい」
自他共に認める秀才が、2月全落ちという結果に愕然。
已むなく前受け校に進学するが
「自分の居場所が無い」
と数ヶ月で退学。
しばらくの間、ニートのような生活。
その後心機一転、再び勉強を始め、晴れて東大に現役合格。
低学年の頃からクラスメイトに「頭がいい」と言われてきました。
ニックネームは「ハカセ」です。
「なんでも一番になりたい!」という気持ちが強く、中学受験するならばもちろん筑駒!
中学受験自体も自分で決めて、両親に「筑駒を受けたいから塾に行きたい」と頼みました。
塾では常にα1に在籍。いわゆるアルゼロくんです。
自信満々のまま迎えた2月。
…のはずだったのですが
2月1日の開成中
2日の巣鴨中
そして3日の筑波大附属駒場中
どこにもご縁をいただけませんでした。
1日入試のカツ丼弁当がよくなかった?
「2日は余裕」と言う慢心が招いた災い?
考えるだけで、めまいと吐き気がしました。
進学先は1月前受けの東邦大附属東邦中。
宇宙飛行士を輩出している有名校です。
広い敷地と落ち着いた校風。
「通えたらいいな」
と思ったこともありました。
「思ったこともありました」
…過去形です。
はじめて制服に袖を通したときから違和感がありました。
「ここは、僕が通う学校じゃない」
「僕は、こんなやつらと同じじゃない」
学校には、自分の居場所がありませんでした。
クラスメイトは、みんな優しい人たちでしたが、そのクラスメイトを見下している自分がいました。
入学してはじめての行事は体育祭。
学校に行くふりをして家を出たけれど、途中下車して遊園地のゲームコーナーで時間をつぶしました。
帰宅したら
「担任の先生から電話があったけど、今日は学校に行かなかったの?」
と、母親が心配そうに顔を覗き込みます。
なぜか怒りを覚えました。
いまの学校に通うことが、僕にとって、どれだけ悔しいことなのか、誰も知らない。
「自分の居場所はここじゃない!」
それはこの僕が一番わかっている。
体育祭の翌日に、両親に学校を辞めたいと言いました。
母親に泣かれました。
「お願いだからやめないで」と。
でも、もうその中学に行くことはありませんでした。
好きな時間に起きて、ゲームして、食事を摂って、好きな時間に寝る。
そんな生活が2年ほど続きました。
ある日、自室の窓からぼんやり下を眺めていると、黒ボタンの詰襟制服を着た男子学生がふたり、歓談しながら家の前を通り過ぎました。
そうそう開成は黒ボタンだったな
たしか筑駒は私服だよね
カチッ
小さなスイッチ音が聞こえました。
このままではダメだ
いまの日本には、中卒ではたらく場所なんて無いよね
「自分でアルゼロとか言っちゃってたあいつ、2月全落ちして、進学した1月校もやめたんだって」
「あいつも終わりだな」
αで机を並べていた友だちの嘲笑が、脳裏に浮かびました。
急がなくちゃ
すぐに勉強をはじめなくちゃ
せめて大学だけでも早慶レベルに行かないと、人生が終わっちゃう!!
両親に頼んで、中等部がある通信制の学校に入学手続きをした上で、進学塾に通わせてもらいました。
新たなスタートです。
いままでの時間を取り戻すべく猛勉強しました。
「いま頑張らないとニートになっちゃう」
内から湧き出る恐怖と焦りが、B君を突き動かしたのでした。
B君は晴れて東大理Ⅱに合格し、進振りで工学部へ。
いまは航空宇宙工学分野の研究をしています。
いかがでしたでしょうか
A君とB君の明暗を分けたのはいったい何だったのでしょうか。
注目すべきは、
それぞれのストーリーの「主役は誰なのか」という点です。
A君は小学校受験も中学受験も、自分の意志ではありませんでした。
A君は、主役にさせてもらえなかったんです。
「未就学児や小学生が自分の意志で受験するなんて、あるわけないじゃない」と思われますか?
子どもは「小さな大人」ではありません。子どもには子どもの世界があり、子どもなりの意志を持っています。
受験をすることを決めたのがご両親であっても、A君自身が、
「お教室で先生に工作を褒められた。今度はどんなものを作ろうかな」
中学受験塾で、
「新しいことを習ってぐんぐん知識が広がっていく。さらに難しい問題に挑戦してみよう」
そんな気持ちで取り組めていたら、進学後の道すじが、違っていたかもしれません。
「小学校受験させる」
「あなたの進学先はここがいいわ」
「なんでこんな簡単な問題ができないの?」
「早くしなさい」
A君は、なにごとにおいても、母親の言葉に従って行動してきました。
母親からの言葉が無かった場合でも
「こうしておかないと母親に叱られるから」
と母親の言動を基準に自分の行動を決めざるを得ない状況。
これを、「親の過干渉」といいます。
もし、中学受験で麻布中に合格していたとしても、その先のどこかでつまずいたことでしょう。
そして、つまずいた原因を
「親のせい」
にします。
自分で考え、行動したことが無いわけですから、「親のせい」以外に原因が見つからないわけです。
一方のB君は、はじめから自分が主役です。
なんでも一番が好き!
だから筑駒!
「何ねぼけたこと言ってんの!」
と言いたくなるほど自信満々です。
こんな時、
「受かるはずない」 とか
「別に1番にこだわらなくても…」 など
大人の価値観を押し付けてはいけません。
都内で一番の難関校、筑駒を受けることも、通塾することも、B君自身が決めたこと。
だから、まさかの2月全落ちしてしまったとき、
「カツ丼が原因?」
とは思っても、お弁当をカツ丼にしたお母様のせいだとは全く思わないわけです。
それどころか、
「慢心が原因だったのかも」
と自分の態度を反省しています。
B君のご両親も、本当に立派な方ですね。
B君自身が
「このままではダメだ」
と再び立ち上がるまで、ずっと待っていたわけですから。
なかなかできることではありません。
ご両親の見守りがあったからこそ、B君の「自分で考え、自分で行動する」姿勢が育まれたのでしょう。
安心して「自分で考え、自分で行動する」ことができる環境があれば、思わぬ失敗を経験したときでも、どっぷり自分の世界に入り込み、自分の足で再び立ち上がるのに十分なエネルギーを充電することができるのです。
受験するのも、進学するのも、お子様自身です。
親御さまがこの世からいなくなった後に、生きていくのはお子様自身。
いつ、なんどきでも
「子どもが主役」
これが子育ての鉄則です。
読者様の中で、
いままさに、お子様が学校に通えない状況にある
自室にひきこもり、昼夜逆転の生活リズムになっている
親御さまに暴言を吐いたり、暴れたり、物を壊したりする
このようなことで心を痛めていらっしゃる方も少なくないのではないでしょうか。
親御さまからすると、非常に悩ましく心配です。
でもそれは、
自立するために、誰しも通る道であり、誰しもぶつかり乗り越えるべき壁なのです。
お子様によって、それが中途退学という形であったり、家庭内暴力という形であったり、様々な形で現れます。
特に問題視されないまでも、アルバイト代をつぎ込んで特定の物を大量に買い集めたり、ある思想に傾倒したり…
これらも、自立までのプロセスにおける誰しも乗り越えるべき壁にあたったときの行動のひとつと言われています。
待ちましょう。
大丈夫です。
きっと、B君のように再び自分の足で歩き始めます。
A君も、20年間自室にこもる生活が続いていますが、A君にとっては、両親の過干渉から身を守り、アイデンティティを自覚するために必要な時間なのです。
やがて、自分で心のドアを開ける日がきっときます。
ただ…
もしお子様が家庭内で物を壊したり、ご家族を殴ったりすることで心を痛めている場合、これだけはお伝えしたいです。
感情を爆発させることと、物を壊すことは、まったく別のことです。
物、人、自分を傷つける行為を見たら
「そんなことをする貴方を見ると、私はとても悲しい」
とアイメッセージで伝えましょう。
親御さまも人間ですから、動揺してよいのです。悲しんでよいのです。
でも動揺したから、悲しいから
「止めなさい!」と感情を押し付けるとお子様は強く反発します。
ちょうど壁に向かって強くボールを投げつけると、同じ強さで跳ね返ってくるのと同じです。
親御さまの動揺した気持ち、悲しい気持ちを、そのまま「私は…」と親御さまを主語にして静かに伝えましょう。
そうすれば、お子様に親御さまの気持ちがまっすぐ届きます。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
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