こんにちは
2ndスクールオンライン 教室長の奥田美保です。
中学受験で大きく成長する子もいれば、受験をきっかけに壊れてしまう子もいます。
その違いはどこから生まれるのでしょうか。
入試までのプロセスにおいて生じる分岐点を、具体例を交えて解説します。
緑のクレヨンでカブトムシを描いたら
その瞬間、母親の声が飛びました。
「緑じゃなくて黒でしょ!」
カブトムシが緑だったらダメですか?
図鑑みたいに描く日があってもいいですし、葉っぱの上にいるカブトムシだっています。
光が当たって緑っぽく見えたのかもしれません。
子どもにとって、ただ「緑が今いちばん好き」だった可能性もあります。
でも、その母親の場合、「正しさ」が先に来ます。
子どもの頭の中で起きている“理由”や“工夫”や“見立て”は、後回しにされます。
この話は、子どもを責めたいわけでも、親を断罪したいわけでもありません。
ただ、ここ数年で何度も見てきた「家庭崩壊」には一定のパターンがあります。
中学受験で家庭が壊れるとき、子ども自身が壊れるとき、原因は学力の不足よりも、家庭の評価のしかたのほうが大きいことがあります。
そして、その評価のしかたは突然できるものではありません。幼児期からの小さな積み重ねで、少しずつ形成されていきます。
今回は、二人の男の子の話を書きます。
同じように塾に通い、同じように受験に向かったのに、結果だけでなく「受験の過程」そのものがまるで違った二人のお話です。
ハヤトくんは2歳から幼児教室に通っていました。
お教室はきれいで、教材も整っていて、先生の声掛けも丁寧でした。表面的には申し分ない環境でした。
ただ、家では…
ハヤトくんがクレヨンで絵を描きます。緑でカブトムシを描きます。
母親はすぐに訂正します。
「黒でしょ」
「ここ、形が違う」
「こんな描き方じゃ、みっともない」
母親に悪意はありません。むしろ逆です。
「ちゃんとさせたい」
「能力を伸ばしたい」
「良い学校に行かせたい」
その気持ちが強いのです。
小学校受験のお教室に通い始めると、ハヤトくんには明らかに緊張が強くなりました。
先生が指示を出しても、体が固まって動けません。周りの子がスッと動くのを見て、余計に焦ります。焦れば焦るほど、頭が真っ白になるのです。
帰り道、母親は叱ります。
「なんで言われた通りにできないの」
「家ではできるのにどうして?お教室でできなかったら意味がないわ」
ある日、ハヤトくんは泣きながら母親に抱きつきました。
咽び泣きながらこう言いました。
「ママ、ごめんなさい。できない子でごめんなさい。」
でも母親は、抱きしめ返す心の余裕はなく、鬼の形相のまま立ち尽くしていました。
小学校受験は、全滅でした。
その夜、母親は言いました。
「次は中学受験。絶対に合格してみせる。」
このときの母親の決意は、子どものためだったと思います。
同時に、母親自身の心の傷の止血でもありました。
小学校受験で味わった屈辱や不安や焦りを、次で取り返したい。そういう気持ちが混ざると、親の視野は一層に狭くなっていきます。
1年生の春、母親はハヤトくんをSAPIXに入れることに決めました。
理由はよくある話です。「1年生のほうが入りやすいと聞いたから」です。
入室テストのために家庭教師を契約し、母親は最初の面談で言いました。
「先生、厳しく指導してください。」
家庭教師の先生は怒るタイプではありませんでした。
優しい先生でした。
でも、優しいことと宿題の量が多いことは両立してしまうのです。
学校が終わって家に帰ります。ランドセルを置いた瞬間から、ハヤトくんの体が重くなります。
家庭教師の先生が来る日だけ、急にお腹が痛くなります。
トイレに行く回数が増え、顔色も冴えません。
母親は心配しながらも、どこかイライラしています。
「せっかく高いお金を払っているのに」
「ここで休んだら遅れるのに」
机の上にはプリントが積まれていきます。
解きます。
間違えます。
直します。
次です。
間違えます。
直します。
次です。
ハヤトくんの頭の中は、時々ふっと別の場所に飛びます。
友だちと遊びたい。
ゲームしたい。
公園で虫を探したい。
でも、その“子どもとして普通の欲”を口にすると、母親の顔が曇るのを知っています。
だから黙ってプリントに向かいます。鉛筆だけは動いていますが、心は置き去りです。
SAPIXに入会できたとき、母親はホッとしました。
ハヤトくんも「これで少し楽になるのかな」と思いました。
ところが、ここからが本当の始まりでした。
SAPIXに通い始めると、家庭に“数字”が入ってきます。
テストの得点、偏差値、クラス、順位です。
数字は便利です。見えるからです。比較できるからです。
そして、数字は家庭の評価軸を固定しやすくなります。
ハヤトくんの家では、テスト後の会話がこうなります。
「何点だった?」
「なんでここ落としたの?」
「この程度で喜ばないで」
「次は満点取ってね」
間違いの理由を一緒に探したり、どう考えたかを聞いたりする前に、とにかく評価、評価、評価です。
やがてハヤトくんは学びます。
こんな状態では、子どもは伸びません。
伸びない、というより「伸びるための筋肉」が育たないのです。
受験で必要なのは、正解を当てる勘ではありません。
迷っても投げ出さずに考え続ける粘り強さ、わからない問題に当たったときでも思考を止めずにチャレンジする力、失点を次に活かす力。そういう思考の持久力です。
ところが、家庭が採点所になると、子どもは持久力ではなく回避力を鍛え始めます。
親は「なんでそんな子になってしまったの?!」と嘆きます。
でも、それは子どもが勝手に身につけた癖ではありません。家庭の評価軸の中で、合理的に獲得した生存戦略です。
中学受験による家庭崩壊。
それは、ある日突然起きるように見えますが、実際は、前兆があるのです。
ここで親が「怠け」と決めつけると、次の段階に進みます。
ハヤトくんの「できない子でごめんなさい」は、強烈なサインです。
子どもが謝り始めたら、もう黄色信号ではなく赤に近いです。
この言葉が出る家庭では、子どもの学力以前に生きていく上での安心の土台が揺らいでいます
ここまで来ると、家は“学びの場所”ではなく“戦場”になってしまいます。
4年生になると、学習量が急に増えます。授業も長くなり、周りの友だちも本気になってきます。
ハヤトくんは、勉強自体は真面目にやります。やりなさいと言われたら素直に座り、プリントもこなします。
でも、表情が消えています。
笑っていても、目が笑いません。
ちょっとした言葉に過敏に反応します。
テスト前になると爪を噛み、消しゴムをちぎり、トイレへ行く回数が増えます。
そんなハヤトくんの姿に、母親の心は不安でいっぱいになります。
不安になるから、自ずと管理することが増えます。
「スマホはダメ」
「ゲームはダメ」
「今日はここまでやってから寝る」
「終わってないなら明日は遊びなし」
ハヤトくんは、我慢します。
我慢して、我慢して、我慢して…
ある日、ぷつんと切れます。
宿題をやらずに隠す。
嘘をつく。
逆ギレする。
朝起きられなくなる。
塾に行こうとすると吐き気がする。
母親は泣きながらハヤトくんに言います。
「こんなにやってるのに、なんで…」
「あなたのためにやってるのに」
ハヤトくんは叫びます。
「もう無理だよ!」
「やめたい!」
「僕なんて居なくなればいいんだ!」
ここから先は、家庭によって形が違います。
不登校気味になる子もいますし、家出に近い状態になる子もいます。親が倒れることもあります。夫婦関係が破綻することもあります。
ただ共通しているのは、崩れたときに親が言う言葉です。
「こんなはずじゃなかった」
そうなる前に、止められるポイントがあります。
ヒカルくんは、ハヤトくんと対照的でした。
幼児期、ヒカルくんの家には「体験」が多くありました。
特別な旅行でなくてもいいのです。
日常の中で五感を使う機会が多かったのです。
ヒカルくんの母親は“見守る”タイプでした。
ただ、放任ではありません。観察が細かいのです。
たとえば、何かに詰まったとき、手が止まったときには、すぐに答えを教えません。
その代わりに、こう言います。
「どこで迷った?」
「いま、頭の中で何が起きてる?
「一回、違う作戦にしてみる?」
そして、できたら大げさに褒めるのではなく、淡々と、でも嬉しそうに言います。
「そこ、よく粘ったね」
「最後まで諦めなかったね」
この言葉が、子どもの心に残ります。
“正解したから価値がある”のではなく、“考え続けたことに価値がある”という見方が育っていきます。
ヒカルくんは4年生からSAPIXに入りました。
最初から好成績でα1。周りが羨むスタートでした。
でも、母親は浮かれません。
「天才!」みたいな煽りも言いません。変に期待を乗せません。
その後、組み分けテストで成績が落ちた日がありました。
母親は点数を見て、こう言いました。
「難しい問題だったのに、よくじっくり取り組んだね」
「この問題、途中まで筋が良かったよ」
「ここ、面白い考え方だった」
計算ミスを咎めたこともありません。
「なんでミスしたの!」と責めません。
代わりに
「このミス、もったいなかったね!もしかして疲れてる?」
と聞きます。
睡眠や食事、学習の密度を一緒に見直します。
そして、驚くほど「勉強しなさい」と言いません。
言わなくてもやるから、ではありません。
それを言うと評価の軸がズレてしまうことを知っているからです。
だから家が落ち着いています。
家が落ち着いているから、子どもは伸びます。
SAPIXの6年生になり、志望校別のクラスになると、ヒカルくんは、ますます塾の授業が楽しくなりました。
小テストの丸つけは、隣の席と答案を交換します。
クラス全員が良きライバルで、お互いに「お前、すごいな!俺も頑張る!」と声をかけ合います。
小テストで一番得点できた子が「大統領」、二番手は「大臣」です。
単元によって、常に入れ替わるのが面白いのです。成績ごとの席順が、次へのモチベーションになっていました。
難しい問題に挑戦することがかっこいい。
そんな価値観がクラスに溢れていました。
入試当日は、ちょっと緊張はしていましたが、晴れやかな気分で会場へ向かいました。
お昼休憩では、廊下で同じ塾の同じクラスの子たちに会いました。
「一緒にお弁当食べようよ」
会ったクラスメイトに次々声をかけて、結局20人で輪になってお弁当を食べました。
「俺たち、全員合格するからな!」
すべての入試日程が終わったとき、ヒカルくんは言いました。
「受験してよかった」
「受験させてくれてありがとう」
二人の差は、教材でも、塾でも、開始時期でもありません。
大きいのは、家庭の評価軸です。
ハヤトくんの家:正しいか/間違いか、できたか/できないか
ヒカルくんの家:どう考えたか、どう粘ったか、どこで迷ったか
評価軸が違うと、子どもが身につける“癖”が変わります。
ハヤトくんは、ミスを隠す癖がつきます。
ヒカルくんは、ミスを材料にする癖がつきます。
ハヤトくんは、親の顔色を読む癖がつきます。
ヒカルくんは、自分の頭の中を言葉にする癖がつきます。
この差は6年生で一気に開きます。
学力の差というより、メンタルの持久力の差として表面化します。
ここまで読んで、苦しくなった方もいると思います。
「私も同じことをやってる」
「うちのことだ」
そう感じたなら、まだ間に合います。
大きく変える必要はありません。
むしろ、家庭の評価のしかたは、小さな言葉で変わります。
「黒でしょ」ではなく、最初の一言を変えます。
「緑のカブトムシ!いいね」
「そう描いたんだ」
「面白い色だね」
受け止めた上で聞きます。
「どこにいるカブトムシ?」
「どうして緑にしたの?」
ここで子どもが説明できなくても構いません。
説明できないのは、脳の中が整理されていないだけで、間違いではありません。
テスト後の最初の質問を変えます。
×「何点?」
○「どこで迷った?」
○「今日はどこが難しかった?」
○「時間がかかった問題はあった?」
点数は後で見ればいいのです。
プロセスを聞かれると、子どもは“考えること”を継続しやすくなります。
厳しさを外注すると、家庭の評価の軸が“点数中心”に寄ってしまい、家の中が荒れます。
家庭教師も塾も悪くありません。
それどころかフルタイム共働きのご家庭には是非家庭教師をご活用いただきたいと思っています。
良くないのは“家庭が戦闘モードになること”です。
学習量を増やしたいなら、厳しくするのではなく、学習量を増やす設計をします。
この設計は、親の仕事です。
ここを親が握ると、家庭の評価が整い、落ち着きます。
難しいと感じたら、プロ(塾の先生や家庭教師などの専門家)に相談しましょう。
受験は、合否だけのイベントではありません。
“どう頑張るか”
“どう立て直すか”
“どう人と関わるか”
が全部出ます。
そして、それは勉強の量だけで決まるものではありません。
家庭の評価のしかた、親の言葉、安心の土台で決まります。
カブトムシが緑でもいいのです。
その緑は、子どもの頭の中の自由さの証拠です。
その自由さが残ったまま受験に向かうことができる子は、強いです。
たとえ途中で失点しても、立て直せます。最後まで走り抜くことができるのです。
逆に、幼児期から「正しさ」で締め付けられた子は、入試本番で「わからない」と思った瞬間に息ができなくなり、手が止まってしまうのです。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
中学受験は、ご家庭ごとに事情が違います。
そのため、
「うちはどこが危ないのか」
「何から直すべきか」
は、このブログを読んだだけでは見えにくいこともあります。
たとえば、次のようなサインが続くときは、勉強の話に入る前に、今の状態をいったん言葉にして整える時間が必要かもしれません。
もし当てはまるものがあれば、よろしければ一度ご相談ください。
状況を一緒に整理しながら、
「今やめること」と「残すこと」
を、丁寧に確認していきます。